漢方の基本概念は「陰陽」「虚実」「寒熱」「表裏」「気血水」等があり、多くの入門書の冒頭で説明されているものである。今回はその中から特に現代において誤った概念として説明されている「虚実」を取り上げてみたい。まず、現状の虚実を知るために平成22年8月23日薬事・食品衛生審議会一般用医薬品部会議事録の一部を抜粋する。
「漢方は多くはその人の証に合ったものをいかに適切に使うかということがキーポイントですが、それをなるべく一般用に合った形でしばりという形で表現しようということで、虚実という考え方に対しましては、体力を一応メルクマールにしたら、分かるのではないかという結論になりまして、そのような考えから体力によるしばりが入っています。」
要するに虚実の概念は専門すぎて一般には難しいので体力をメルクマールにするとわかりやすいということのようである。個人的にはこのような要約(分かりやすくするために言葉を置き換えること)は本来の概念を曲げてしまうと危惧するが、取り敢えず「実証」は「比較的体力のある人」「体力・体格ともに充実した人」、「虚証」は「比較的体力の低下した人」「比較的虚弱な人」と決めたようである。
これに対してインターネットを検索してみると実証は「邪気(じゃき)など外からの刺激によって不調になるもの」、虚証は「必要なものが不足し、体の機能が低下しているもの」と説明されているものも良くみかける。漢方医学本来の虚実は体力の有無ではないといわれていることから、この概念は上記の体力しばりと比べるとマシと言えるが100%首肯できるものではない。そこで本来の虚実の概念を検討してみることとする。
まず、『黄帝内経』(約2100年前編纂)の「素問」を調べてみると、実は「邪気があふれている状態」、虚は「正気が奪われている状態」と記載されている。邪気は病毒を指し、正気は抵抗力・防衛力・体力を指すとされているから、虚は抵抗力や体力が低下した状態(これは体力がないと考えても誤りではないと思う)であるが、実は体力がある状態ではなく病毒が充満している状態ということなる。よって上記のネット上に良く出てくる概念はこの「素問」に沿っていると思われる。
次に江戸期の漢方家、中西深斎(1724~1803年)の『傷寒名数解』には、「虚実の名、必ず、その常を失うに起る(虚実は病気になって初めて現れる)」、「強弱の称、必ず、その体の常質によるなり(強弱は体質・体力によるもの)」とある。これは極めて重要な指摘である。病気になって初めて虚実が現れる。平素の体力の有無は強弱で表していると述べている。つまり診断基準である「虚実」と平素からの体力の「強弱」は別物ということである。
平素の体質は病気になった時の虚実とは必ずしも一致しない。平素体力があるものも虚証の病状を呈する事がある。考えてみれば当たり前のことで、平素体力がある人が風邪を引いた場合、実証の処方である葛根湯証や麻黄湯証にしかならないのであろうか?そんなことはありえない。
江戸期も現代も虚実と強弱が混同されており、また、それが誤りであることは既に江戸期に指摘されていたのである。江戸期に誤りだと指摘された概念をこの現代において虚実のメルクマールとして採用したとはまったく「と・ほ・ほ」な話である。平素の体力をみて「私は実タイプ」や「私は虚タイプ」などと占いみたいな話も同じく「と・ほ・ほ」というわけである。
後編に続く
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