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馬銭子

生姜と乾姜は違うのか?

更新日:3月22日

日本薬局方(局方)にカンキョウ(乾姜)は「ショウガ」の根茎を湯通し又は蒸したものと規定されており(修治)、ショウキョウ(生姜・乾生姜)は同じく「ショウガ」の根茎で、ときに周皮を除いたものと規定されている。定量において乾燥物を規定しているところから実際の調剤では乾燥したショウガを用いている。乾姜は生姜と同じ「ショウガ」を基原としているが加熱処理されている点が生姜と異なっている。生姜には辛味成分であるギンゲロールが多く含まれているが、加熱過程でギンゲロールから同じく辛味成分であるショーガオールが生成される。このショウガオールはギンゲロールよりも辛味が強く、体を温めて血行を改善する効果が強いとされている。ここまでが一般的な説明である。


『傷寒論』『金匱要略』の漢方処方は生姜と乾姜が使い分けられているが、古典における生姜は「新鮮なショウガ根茎」、乾姜は「修治されていないものも修治されたものも含めた乾燥ショウガ根茎」である。先に書いたように現在の生姜は乾生姜とも呼ばれる通り「乾燥ショウガ根茎」であり、乾姜は「修治されたショウガ根茎」であり、新鮮ショウガ根茎は「ひねショウガ」と呼ばれている。局方の規定と古典の規定に齟齬が生じている。


吉益東洞の『薬徴』に生姜はなく乾姜のみ記載されている。その効能は「主治結滞水毒也。旁治嘔吐。咳。下痢。厥冷。煩躁。腹痛。胸痛。腰痛。」である。さらに「互考」に「孫思邈曰。無生姜則以乾姜代之。以余観之。中景氏用生姜乾姜。其所主治。大同而小異。生姜主嘔吐。乾姜主水毒之結滞者也。不可混矣。」とある。意味は「孫思邈(唐代の医者で『千金要方』『千金翼方』の著者)は生姜を乾姜で代用できると書いているが、張仲景(傷寒論金匱要略の編者)は、生姜は嘔吐に使い、乾姜は停滞している水毒に使っているのだから混同しないように」である。また、「品考」に「乾姜 本邦之産。有二品。曰。乾生姜。曰。三河乾姜。所謂乾生姜者。余家用之。所謂三河乾姜。余家不用之。」と書いている。三河乾姜は「修治されたショウガ根茎」であるから、吉益東洞は「ひねショウガ」を生姜、「乾燥ショウガ根茎」を乾姜として使用し、「修治されたショウガ根茎」は使用しなかったと述べている。参考までに村井大年の『薬徴続編』の生姜の項を見ると「主治嘔也。故兼治乾嘔噯気噦逆。」とあり「ひねショウガ」の薬能を嘔気嘔吐にしていることがわかる。


ここで成分の話に戻るが、「乾燥ショウガ根茎」のギンゲロールと「修治されたショウガ根茎」のショーガオールが体を温めるのであれば、「ひねショウガ」に含まれるシネオールが嘔吐を治すということになるだろうか。ちなみにシネオールの効果をインターネットで検索すると食欲不振が出てくる。そうだとすれば伝統的な日本漢方(特に古法)は嘔吐の治療にシネオールを、水毒や陰病の治療にギンゲロールを活用していたことになるであろう。


『傷寒論』『金匱要略』の処方をみると、桂枝湯の条文に「乾嘔」とあるので、桂枝湯の生姜は「ひねショウガ」を使うべきであろう。呉茱萸湯や小半夏加茯苓湯も「嘔吐」があるので「ひねショウガ」。小青龍湯は乾姜が配されているので裏水があって外邪に侵襲された状態と解釈されてきたし、甘草乾姜湯や四逆湯などの陰病を治療する処方は乾姜が使われているので身体を温めて水毒の停滞を改善するという解釈になる。生姜瀉心湯は生姜と乾姜が配されているので両者の区別が必要であることがわかる。生姜瀉心湯において「ひねショウガ」の代わりに「乾燥ショウガ根茎」を使うと半夏瀉心湯と同一の処方になってしまう。


ここまで書いてきて、ふと吉益東洞の「其所主治。大同而小異。」が頭をよぎり、じつは大した違いはないのかもしれないという思いに至り本稿を閉じることとする(笑)。

『薬徴』に生姜の項がないのは乾姜と大同小異で乾姜の項に「互考」として考察しているからと思われる。


付言

「ひねショウガ」より新鮮な「新ショウガ」は更に嘔吐を抑える働きが強いのではないかと思う反面、「ひねショウガ」を使った漢方処方も煎じる作業により加熱されているのだからシネオールは揮発しギンゲロールあるいはショウガオールが増えているかもしれない。この辺りは不明である。

生薬は多成分複合体であるため修治による成分構成の違いはグラデーションと考えておくのが妥当であろう。単一成分の薬理作用のごとく「この生薬」は「この作用」のような切り分けは難しいのでやはり大同小異と言うしかないと思う。


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