次に江戸時代における太陽病の虚実を考えてみたい。取り敢えず太陽病は風邪の引き始めとしておく。内藤希哲(1701~1735年)の『医経解惑論』には「汗ある者は表虚となす」「汗無き者は表実となす」とあり、太陽病においての虚証は自汗を、実証は無汗を意味していたことがわかる。「表」は太陽病において病状が現れる部位を示しているので、風邪の引き始めで汗があるものは虚、汗が無いものは実と解釈することができる。
更に原典である『傷寒論』の条文における虚実の用法を調べてみると、自汗を表虚と表現した条文は3つ存在した。しかし、「桂枝湯が虚である」や「葛根湯が実である」と表現した条文は存在しなかった。
少しややこしくなったので、ここまでの内容をまとめると以下の通りである。
・「実」は「体力がある」ことではなく、「病毒が強い」ことを意味している
・江戸期の太陽病の解釈は、自汗を虚、無汗を実としていた
・『傷寒論』の太陽病処方を虚実で説明した条文は存在しなかった
ここから推測できることは、自汗を表虚とする条文の存在から、無汗を実証と解釈したことである。これに「虚実=体力の有無」という誤認識を加えると以下の関係性を見ることができる。
・自汗⇒(表)虚証⇒体力無し
・無汗⇒(表)実証⇒体力有り
つまり上記のような読み替えが行われた結果、無汗と体力有りが同じ意味になっていることがわかる。
ここでツムラ葛根湯エキス製剤の添付文書を見てみよう。
【効能または効果】
自然発汗がなく頭痛、発熱、悪寒、肩こり等を伴う比較的体力のあるものの次の諸症
感冒、鼻かぜ、熱性疾患の初期、炎症性疾患(結膜炎、角膜炎、中耳炎、扁桃腺炎、乳腺炎、リンパ腺炎)、肩こり、上半身の神経痛、じんましん
「自然発汗がなく(無汗)」と「体力のある」が併記されているが、上記で考察したように「体力がある」と「無汗」は同じ意味だと考えられるので、この添付文書は同義反復文(トートロジー)になっているのである。
古典及び江戸期の漢方家の著書によれば、「虚実証=体力の有無」という定義・解釈はされておらず、虚実のメルクマールとして体力を導入したことは誤りである。また、江戸期から無汗を実証と解釈してきたにも関わらず、実証を「体力がある」と定義したために、「体力がある」と「無汗」は別の現象(症状・状態)だと考えられ、葛根湯エキス製剤の効能・効果に「体力のある」と「自然発汗がなく」が同じ意味にも関わらず併記される事態となった。
ここまでの内容は平成25年の第46回日本薬剤師会学術大会にて口頭発表に加筆をしたものである。体力の有無を虚実とすることは誤りであるが、「素問」における虚実の概念も漢方薬すなわち『傷寒論』の処方の理解の妨げになると思う。病状が静かなものが虚、病状が激しいものを実とすれば理解は容易ではないだろうか。具体的には、太陽病では汗の有無を虚実とし、少陽病では胸脇苦満の強弱を虚実とし、陽明病は実、陰病は虚である。
Comments