ツムラの葛根湯エキス顆粒の添付文書には「自然発汗がなく頭痛、発熱、悪寒、肩こり等を伴う比較的体力のあるものの次の諸症」とあり、以下病名が列記されている。この「」(カッコ)の症状群が古典(傷寒論)の条文であり所謂「証」である。ここに記載された「発熱」に注目したい。この発熱の文字を見れば誰でも「ああ、熱があるんだな」と思うだろう。しかも特に断りを入れなくても体温計で計測された熱だと理解しているのである。しかしここで考えなければならないのは、傷寒論が編纂された時代に体温計はあったのか?ということである。
世界で初めて温度計を発明したのはガリレオだが体温を測定するという発想は無かったようである。世界初の体温計は17世紀にイタリアの医学者サントリオが発明している。サントリオの体温計は曲がりくねったガラス管の一方の端を球状に膨らませ、他方の端に水を入れたもので、このガラス管を口でくわえ、内部の空気が膨張して液面が変化することを利用したものであった。
体温を実際の医学に初めて応用したのはドイツの臨床医ヴンダーリッヒで、19世紀に25,000人の患者に述べ100万回以上の体温測定を行い、健康人の体温はほぼ一定であること、正常範囲は36.3~37.5℃であることを見つけている。ヴンダーリッヒの水銀体温計は長さ30cm、測定時間は20分を要し大変不便であった。
その後、アメリカの神経内科医オルバットが1866年に長さ12cm、測定時間5分の小型水銀体温計を作り、その小型体温計が明治の文明開化により西洋医学の知識とともにわが国に導入されたのである。
以上のように体温計の歴史は百数十年ほどであるため、傷寒論が編纂された約1800年前に体温計は無かったのだ。では、傷寒論を含めて古典医学書に記載されている発熱とは何であろうか?答えは自覚の熱感や他覚の熱感である。紀元前4世紀に活躍した臨床医学の祖ヒポクラテスも急性炎症の徴候として発熱を捉えていたが、この発熱も自他覚の熱感だったと思われる。古典における発熱は洋の東西を問わず熱感と解釈しなければならない。
漢方医学に話を戻そう。以上から上記の葛根湯の発熱は「計測値の発熱」ではなく「熱感」と理解して証を考えなければならないということである。「計測値が発熱」でかつ「熱感」がある場合矛盾はないが、「計測値が平熱」で「熱感」がある場合は発熱、「計測値が発熱」で「熱感」が無い場合は未だ発熱せずか、もしくは虚熱として扱わなければならない。このように現代医学と漢方医学の齟齬を埋める作業も漢方医学には必要なのである。
参考:『ペニシリンはクシャミが生んだ大発見』 百島祐貴著 平凡社新書
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